Ⅱサムエル17:24-18:8 

ダビデはマハナイムに着きました。反面、アブサロムは共にする人たちとヨルダン川を渡るのに時間がかなりかかりました。その分、ダビデは有利な地域で戦いの準備をすることが出来ました。これは、すべてフシャイの助言でした。また、マハナイムに来た時、ショビ、マキル、バルジライと言う人たちが多くの食糧と必要品を持って来ました。急いで逃げ出たダビデと兵士たちには食糧を始め多くのものが足りなかったに違いありません。なので彼らが持ってきたものは、ダビデと共にいた人たちに大きな力になったと思います。

神様はダビデを安全に導かれただけでなく、必要なすべてを満たして下さいました。このように主は私たちのすべての必要がご存知の方です。その助けの通路は何ですか。主は人たちを通して働かれます。マナのように天から落ちません。困窮の時に助けてくださる主の恵みを覚えましょう。

ダビデは御怒りの中でも慈しみを施される主に出会います。例え、自分の罪のことでアブサロムの謀反が起きましたが、それにもかかわらず懲らしめの中で自分を導き、絶望の中でも恵みを忘れない主を経験します。それで、ダビデは詩篇23篇で自分の羊飼いであられる主がおられるので乏しいことがないと告白します。ダビデのように主に従う人たちには、いつも主の助けがあることを忘れないようにしましょう。絶望の中でも諦めないで、もう一度主の導きのために祈りましょう。何も見えない状況の中でも主を離れずに待ち望むと、主は必ず私たちを覚えられます。捨てられることはありません。それを信じましょう。

ダビデはアブサロムと戦いを準備しながら千人隊長百人隊長を任命します。また、全部隊を三つに分けて指揮の人を立たせます。また、自分も戦いに出て行くと言います。大変な状況ですが、王としてやるべきことはやる彼の姿です。リーダーが座り込んでしまうのはだめです。自分がやるべきことをやらないとリーダーとしての資格を失ってしまいます。戦いに行くと言っているダビデを部下たちは引き止めます。なぜなら、ダビデは誰よりも重要であることが分かっているからです。指導者が部下たちを大事にするように、部下たちも指導者であるダビデを愛し大事にしていることが分かります。ダビデは彼らの心を受け入れ、祝福し送ります。

もう一つは、三人の隊長にアブサロムをゆるやかに扱ってくれることを頼んでいます。謀反を起こした息子であっても、父親としてすでに赦しているのが分かります。父親の心が変わってないことが分かります。王として謀反は鎮めるべきですが、父親として赦し愛しているのです。このダビデの心が神様の御心ではないかと思います。私たちは主の前で資格がないものですが、主は限りなく私たちを愛し赦しておられます。私たちも主の心を抱いて信徒を見、兄弟姉妹のことを心に抱いて祈りましょう。