Ⅰサムエル24:1-22

サウルがダビデを殺すために兵たちを引き連れ追っている姿を見ながら、サウル王って極めて暇だなと思いました。選り抜きの3千人は最強の兵たちでしょう。誰と戦っても負けない精鋭のエリート集団です。サウルはそのような優秀な人材を率いています。国のことには関心がなく、ひたすらダビデを捕えるのに意識が向いています。このような彼の姿をダビデは何と言っていますか。14節「イスラエルの王は誰を追って出て来られたのですか。死んだ犬の後でしょうか。一匹の蚤の後でしょうか。」

ダビデは自分を死んだ犬や蚤のように価値のないものに蔑んで例えながら、王としてこのような価値のない者を追っていると皮肉っているのでしょう。自分の感情に捕らわれると、価値のないことに力を費やすことになります。

サウルはダビデと言う名前を聞くだけで興奮して殺そうと追いかけて行きます。耐えられません。しかし、結局自分の損になります。私たちはサウルのような人になってはいけません。

サウルとダビデの決定的な差は聞く耳にあると思います。サウルは人の言葉に心が揺らぎます。ある人が、ダビデはここにいますと言うとすぐ兵たちを連れて行きます。それで、ダビデはこのように話します。9節「なぜ、ダビデがあなたに害を加えようとしているという人の言葉に耳を傾けれられるのですか。」彼に比べてダビデは人の言葉に揺らぎません。部下たちがサウルを殺せる絶好のチャンスだと言ったときにも、彼は油注がれた方に手を下すことは出来ないと言います。自分の感情に捕らわれるのではなく神様の御言葉に従います。

信仰の生活で勝利する秘訣は、人の言葉ではない神様の御言葉に耳を傾けることです。そうすることで、勝利ができます。信仰も聞くことから始まり、人生の勝利も聞くことか始まると信じます。周りの人たちがある人について話す時、皆さんはどんな反応を見せますか。無条件に同意しますか。あるいは、聞いて祈ってもう一度考えますか。その人がいかに悪いことをしたとしても、無条件にその言葉に同意して興奮してはいけません。祈ってあげるべきです。

どうやって祈れるのですかと疑問に思われるかも知れません。ダビデを見ると不可能なことではありません。ダビデは自分を殺そうとするサウルを生かしました。また、愛しました。祈ります。更に、サウルの家を守ることさえも約束します。ダビデが愛するから、サウルの憎しみに満ちた心も力を失って自分を顧みながら泣きます。感情に従えば復讐をしたかもしれませんが、ダビデはそうしませんでした。計算しませんでした。裁きは主のものです。私たちは続けて御言葉に従い、愛し、行動するのが勝利する道でしょう。

憎しみの心を抱いてはいけません。祈ってあげると十分です。その魂のために祈るのです。時が来ると誤解も解け、関係も回復し、状況も変わるでしょう。それが、自分が生きる道です。憎しみは、その心を持つ人自身を殺す結果に至ることを覚えましょう。