Ⅰサムエル11:1-15

サウルは神様から王として選ばれ、油注がれましたが、民たちまでがサウルを王として認めたわけではありません。サウルも自分を認めてくれないことについて何の不平もありませんでした。人たちに認められることは決してたやすいことではありません。その人の本当の姿が現れるまで時間がかかるものです。

王として選出されたサウルは、相変わらず牛で畑の仕事をしていました。王にはふさわしくない仕事をしていました。また、サウルはイスラエルの12部族の中で一番小さかったベニヤミン族の出身でした。王が出そうな背景でもないし、影響力もありませんでした。つまり、多くの人たちが認められない所がありました。しかし、サウルが王になったのは人の考えを乗り越える神様の選択と摂理であることが分かります。

ついに、11章の最後では、サウルを認めなかった人たちまで認めざるを得ない大勝利をアンモン人との戦いで得ました。神様の御働きでしょう。アンモンの侵略のことを聞いた時、彼の怒りが激しく燃え上がった理由は神の霊が下ったからです。自分を認めてくれと苛立たなくても神様が立てられた人は主が導いてくださいます。権威と力で治めると短時間で認められるかもしれませんが、民たちの心を得ることは難しいでしょう。しかし、主の導きに従順になり従うと、時間がかかるかもしれませんが、堅固な統治が続けられます。

自分を立ててくださり、導いてくださる方が神様であることを覚えましょう。自分の力ではできないことを認めましょう。主が立ててくださることを信じて従順となり、自分の居場所で黙々と与えられたことに忠実であれば、必ずチャンスが訪れます。その時に神様に栄光を帰せば良いです。

15節を見ると民は皆ギルガルに行きました。ギルガルはサムエルが祭壇を築き、神様に礼拝を捧げたところです。そこで、「主の前に」という単語が繰り返して出て来ます。すべてのことは主がなさったという告白であり、その方に栄光を捧げたことが分かります。

自分を導いてくださる神様を認め、栄光を帰する人生になりましょう。