マルコ書14章12節~21節
過ぎ越しの祭りがすでに始まっていたので、エルサレムには全国から上って来た多くの人たちでいっぱいになっていました。そこで、イエス様を含め13人が集まれる大きな場所が残っているはずがありません。しかし、イエス様の御言葉の通り、過ぎ越しの食事ができる広い場所が用意されていました。イエス様はいつも、私たちの必要を用意しておられるお方です。今日も皆さんの必要を満たして下さるでしょう。
夕方になって、共に食事をしているとき、イエス様は言われました。「あなたがたのうちの一人が、私をうらぎります。」楽しくご飯を食べている中、冷水を掛けられたような静けさが横切り、弟子たちはびっくりしたはずです。その沈黙も瞬く間、ある弟子たちから、次々と「まさか、私ではないでしょう。」と言い始めました。イスカリオテユダ・ユダまでも。
「まさか、私ではないでしょう」と言う言葉の意味は何でしょうか。私は他の弟子たちとは違うでしょう。他の弟子たちがイエス様を裏切っても私は裏切りません。
これが、私たちの心ではないかと思います。私は違う。私は大丈夫。私は正直なものだ。わたしをあの人たちと比べるな。
イスカリオテ・ユダではないなら大丈夫だと思うかもしれませんが、結局、みんながイエス様を捨てて逃げてしまいました。私たち、自分だって違うことはないと思います。
私たちが主に言うべき言葉は、まさか私ではないでしょうではなく、私がその人ですと言う告白になるべきではないでしょうか。