コロサイ書1:24-2:5
クリスチャンが苦しみを喜びとしていられる理由は、栄光の望みであるキリストの故です。パウロは自分が受けている苦しみのことで悲しんだり、気落ちしたりしませんでした。なぜなら、教会のために受ける苦難だったからです。「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し、ありもしないことで悪行を浴びせる時、あなたがたは幸いです。喜びなさい。大いに喜びなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのですから。(マタイ書5:11-12)」パウロはイエス様の御言葉の故に喜びました。自分が受けている苦しみはキリストの苦しみの欠けたところを満たすものであると言って、キリストの苦難にあずかることを喜んでいます。
また、彼は自分が教会に仕える者となったと言います。イエスキリストの福音を宣べ伝え、すべての人を諭し、教え、キリストにあって成熟したものとして立たせるのが自分の使命であることを明らかにしています。パウロは自分の使命と目的を明確に知っていました。それで、コロサイ教会の信徒たちにも同じ使命と目的を共に提示していくことを頼んでいます。
このように、私たちは、イエスキリストの栄光と望みにおいて、世の中でイエスキリストを宣べ伝える使命が与えられた者たちです。これを悟ることにより、私たちはイエスキリストの苦しみにあずかることで苦しみの中でも喜ぶことが出来るのです。
堅い信仰に立つ時に揺るがされません。イエスキリストの御姿に悟られたコロサイ教会の信徒たちにパウロは次のような重要なメッセージを伝えます。「このキリストのうちに、知恵と知識の宝がすべて隠されています。(2:3)」つまり、異端の教えに揺らいでいるコロサイ教会の信徒たちに向かって、「あなたがたが悟ったイエスキリストの中にすべての知恵と知識が隠されていますよ」と強調します。
これは、イエスキリストの足りなさを主張して信徒たちを騙している異端の偽りの教えに揺るがされないように、一層キリストの中に留まるべきであり、堅い信仰に立つべきであることを宣布しています。
イエスキリストを正しく知らない人たちは、世の知識と哲学によって容易に信仰が揺らいでしまいます。パウロがコロサイ教会に向けて話した堅く立つ信仰を、私たちの中で成し遂げていき、揺らぎない信仰生活を歩んで行きましょう。