コロサイ書3:12-4:1
使徒パウロは新しい人を着なさいと言っています。新しい人を着ることは、ただイエスキリストの救いの恵みから始まります。それでは、新しい人を着るとはどんな意味でしょうか。具体的に深い慈愛の心、親切、謙遜、柔和、寛容を着ることです。それから、最後に赦すことです。なぜなら、キリストが私たちを赦されたからです。その赦しは、心の中にある人に不満を抱いたとしても赦すように言っています。これは、頼みではなく命令です。主の命令に従順すべきでしょう。不満を口から出して話してしまえば、その不満は続けて大きく拡散されるものだからです。
使徒パウロはこのすべての上に愛を付けなさいと言っています。愛はすべてを結ぶ帯だと。つまり、愛の心があれば、今まで話したことが実践できます。主は十字架の上にご自分を付けて殺した民たちを赦されました。愛されたからこそ可能でした。私たちも兄弟姉妹を愛する心があれば、新しい人を着ることが出来るのです。
また、大事なことは、感謝だと言っています。不満の代わりに感謝を告白するのです。言葉であれ行いであれ、何かをする時には、主イエスによって行い、神に感謝するようにと。良いことについて感謝することは誰であれ可能ですが、感謝が出来ない状況の中でさえ感謝ができるのは、新しい人を着た人のみ可能なことでしょう。
新しい人を着た人は、御言葉の中に留まるのです。主の御言葉が自分の中に満たされる時、豊かな実を結ぶことが出来るのです。その実はどのように現れますか。18節以降のように人間関係の中で実を結ぶのです。信仰生活は一人で修業するものではありません。生活です。つまり、人との関係の中で生活しながら、生活の中で御言葉通りに生きるのです。なので、一人での信仰生活は成長が遅いし、無理だとまで言えるでしょう。夫と妻、親と子供たち、主人と奴隷のように、一番近い関係の中で自分を隠すことは出来ません。この関係の中で自分が本当に新しい人を着たものとして実を結んでいるのか確認ができるのです。
また、更に、何をするにも主に対してするようにしなさいと言っています。私たちが仕える方はキリストだからです。私たちは、人の前で生きるものではなく、主の前で生きるものです。今日一日も主の前で生きていく私たちになりますように祈りましょう。