Ⅰサムエル28:3-25
28章からサウルの滅んでいく姿が出て来ます。ペリシテ人たちは再び攻め上って来ました。ペリシテはサウルが生きている間、続けて戦ってきた国です。そうであれば、戦争に備えて国防を強化し、軍事力を備えるのが当然でしたが、彼はそうではありませんでした。民たちにも気を配り不安要素を取り除くべきでした。しかし、サウルは内外ともに全く準備をしていませんでした。その結果、サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れました。準備が出来てないと恐れるのは当然です。
その恐れのゆえに、彼は霊媒の女を探しました。しかし、サウルは霊媒や口寄せを国内から追い出していて、サウル自身もそれが罪であることが分かっていました。それにもかかわらず、今、彼はその人たちを自ら探しているのです。一番最悪な選択を選んだわけです。興味深いことに、神様の御心を伺うために霊媒の人に伺うということです。神様の御心を偶像にでも伺おうとするのはそれぐらい彼の心が弱くなっていて、頼る所がないことが分かります。
サウルは、何故このように霊媒の女を探しているのでしょうか。6節、15節で話しているとおり、神様はすでにサウルを捨てられ、夢によっても、ウリムによっても、預言者によってもお答えにならなかったからです。これがサウルを焦らせたのです。
現在のクリスチャンの中にもサウルのような人がかなり多いです。主を信じながらも、祈っても主の心がはっきり分からないと言って今日の運勢をみたり、昔の習慣にしたがって気軽に占いなどをする人たちがいます。気を付けなければなりません。習慣的に行ってきたものを信仰的に解釈してはいけないことが多いことに心がけましょう。
サウルはなぜ神様の御答えを聞けなかったでしょうか。まずは、彼が神様を捨てたからです。二つ目は、サウル自身が神様に対して恐れる心や慕い求める心がなかったわけです。その心に神様に対する期待や恐れがあったなら、ダビデを助けたと言う理由でノブの祭司アヒメレクと85人の祭司たちを殺せなかったはずです。
このように、ダビデを殺すという間違った判断により、神様に頼らず、国の働きもなおざりにしてきました。国防の政策も、民たちの生活を顧みることにも失敗でした。霊的な目が暗むとすべてのことが歪んでしまいます。妬みの執着から、敵たちに門を開けて置いた結果になりました。その時、イスラエルの大きな力であったダビデはペリシテ人の陣営にいました。この知らせを聞いたサウルと兵士たちは一層恐れたに違いありません。
現在の自分の霊的な姿を点検してみましょう。神様の基準から逸れてやるべき大事なことをないがしろにし、余計な所に気持ちが囚われていませんか?自分を顧みて、そのようなことがあるなら謙遜にそれを認め、自分のあるべき姿を取り戻しましょう。