第Ⅱサムエル2:12-32

サウルの息子イシュ・ボシェテの家来たちとアブネルはキブオンに来ました。一方、ヨアブとダビデの家来たちもキブオンに行きました。キブオンは、当時祭司たちの都市として一番重要だったので、アブネルはそこを占領しようとして行った戦いだったとみられます。

アブネルとヨアブは被害を最小にするため、正面戦を避けて、若者12名づつ出させて戦うようにしました。しかし、全員が死んでしまいました。それで、その土地の名前をヘルカテ・ハ・ツリムと呼びました。それは「鋭い刀の野原」と言う意味です。しかし、ヘルカテを拡大解釈すると「偽り、へつらい」と言う意味もあります。なので、「偽りの野原」とも解釈が出来ます。

アブネルとヨアブは兵士たちの犠牲を減らすため、代表として出したそれぞれの12名はすべて死んでしまい、結局、激しい戦いとなり、多くの兵士たちが死にました。簡単に終わると思った戦いでしたが、決して簡単ではありませんでした。最初の24名の兵士たちが死ぬ光景はとても悲惨だったでしょう。事実、これが戦いの典型的な姿なのです。戦う時には、皆自分が勝利すると思います。しかし、実際には、皆が傷つき、被害を受け、多くの死者がでないと戦いは終わりません。

私たちは、これを心に留めておくべきです。戦いを通して何かを得ようとする時、「偽りの野原」で何があったのかを覚えなければなりません。戦いが私たちを騙すという真理を悟るべきです。戦いと言う偽りの幻の中で、戦いの生活をおくっているのではないでしょうか。刀を持って戦う戦争ではないにしても、私たちの職場で、隣人たちとの関係の中で見えない戦いをしながら生きているのではないでしょうか。戦いは私たちに有益なものではありません。傷と悲惨さのみさを残すのです。

26節を見ると、アブネルはヨアブに叫びかけます。「いつまでも剣が人を食い尽くして良いものか。その果ては、ひどいことになるのを知らないのか。いつになったら、兵たちに、自分の兄弟たちを追うのをやめて帰れ、と命じるつもりか。」アブネルの言葉のように、最後にはひどい苦痛のみが残るでしょう。自分が勝つと思い、勝ったと思うかもしれませんが違います。戦いは、皆にとって苦痛であり傷です。死にまでも至ります。また、自分が憎しみ、傷を与えるのは自分の兄弟であるという事実です。家族を憎しみ、共同体の人たちと戦うのは、結局、自分の傷になることだと言うのが分からないのです。私たちは戦いではなく、愛しながら生きるべきです。主は私たちに平和を与えるために来られました。お互いに愛し合い、祈り合い、立たせる関係になるために祈りましょう。