Ⅰサムエル22:1-13

ダビデがアドラムのほら穴に避難したという話を聞いて、彼の兄弟たちや父の家の者皆が彼のところに集まってきました。また、困窮しているもの、負債のあるもの、不満のある者たちも皆集まって来て、その数が400人ほどになりました。ダビデは自分のもとに集まって来た人たちの指導者になりました。自分一人さえ守るのに精一杯なはずのダビデは、彼らを拒まず受け入れます。なぜでしょう。誰よりもダビデは彼らの心が分かっていたからでしょう。彼らの弱さを知って理解していたと思います。

しかし、人の心や事情を理解することと一緒に行動をすることとは別の問題です。その人たちと共にすることで、自分の命が危うくなる可能性が高いからです。しかし、ダビデは一人も見捨てませんでした。一人の魂を何よりも大事にする指導者になったと理解しても良いと思います。

サウルに殺された祭司アヒメレクの息子エブヤタルも、ダビデのところに身を避けて来ました。一層危険な状態になりましたが、エブヤタルを慰め、一緒に居ることを勧めます。自分の損得を考えず、傷ついて苦しんでいる人たちの心を慰めることが出来る人でした。

反面、サウルはどうでしょうか。サウルにとって忠実な部下で護衛兵の長であり、自分の婿であるダビデを殺そうとしています。なぜでしょう。妬みからです。この妬みが恐れを生み、ダビデを助ける人たちまで全部殺してしまいます。エポデを来ている祭司85人とその家族、家畜まですべて根こそぎに殺しました。妬みに駆られているサウルの目には祭司も見えません。自分にとって邪魔になると思うと、人、家畜、全てを殺してしまいます。

一人の人でも大事に思うダビデと、自分の目的に差支えがあればだれでも殺せるサウルです。ダビデは逃亡者であるにも関わらず指導者になりました。しかし、サウルは最高の権力者でありながらも、慈しみや情け深さもなくただ妬みに駆られ非情な行動にでます。

イエスの弟子として生きるということは、自分の利益にしたがって動くのではなく、まず、主の国と義を求め、動くことだと信じます。