Ⅰサムエル9:15-27

今日の御言葉の箇所で、「わたしの民」と言う言葉が何回出て来るのか見つけてみましょう。16-17の2節の中で神様は、「わたしの民」という言葉を四回も使っておられます。わたしの民とは誰でしょうか。イスラエルのことでしょう。しかし、イスラエルは神様を捨てました。8章7節「わたしが王として彼らを治めることを拒んだ」と神さまが語られたように、イスラエルは神様の民になるのを拒んだのです。神様の統治より、人間の王の統治を願いました。

しかし、神様にとってイスラエルは、相変わらず愛おしいわが民でした。神様は私たちを捨てられない方です。それで、イスラエルの叫ぶ声をお聞きになり、彼らを顧みられました。王を願ったので、王になるサウルを呼ばれたのです。

サムエルも神様の御言葉を聞き、従順でいました。神様を捨てた彼らに腹が立ちましたが、神様の御心を知ったサムエルは御言葉に従いました。サムエルは、イスラエルの預言者さえ知らないサウルに向けて先に手を差しのべました。また、サウルの食べる分を用意しておきました。共に食事をし、屋上で遅い時間まで話を交わしました。サムエルが預言者であることさえ知らないサウルにどんな話をしたのでしょうか。預言者だったので神様の心について話したと思います。

気に入らないと言って神様の御心に逆らうのではなく、神様の喜ばれるところに従順となるのが信仰です。自分の気に入らない人だと言って拒み、相手にせずに無視するのではなく、最後まで愛される神様の御心のように愛が必要です。なぜなら、私たちは神様の民であり、子どもだからです。神様の御心に従って生きるべきです。御言葉に従う時こそ、神様は私たちを用いられると思います。

私たちは主の御心を知っていますか。教会に向かわれる主の心、この地に向かわれる主の心を知っていますか。祈る者がその御心を悟るようになると思います。その御心を悟ったなら、従順になりながらその御心に従って歩んで行けるでしよう。