第Ⅱサムエル3:27-39
ヨアブはアブネルをひそかに呼び出し、殺します。理由は、ヨアブの弟アサエルをアブネルが殺したことに対する復讐でした。ダビデはアブネルが悪であることを知っていましたが、個人的な感情よりもイスラエルが一つになる共同体の益のために彼に善をもって行いましたが、ヨアブは兄弟の復讐という個人的な感情で彼を殺しました。共同体のための心が全く見られない行動でした。
ヨアブがアブネルを殺しましたが、その流れは民たちにとって、ダビデが彼を殺したと誤解するのに十分でした。ダビデも後にその状況のことが分かったはずです。
それにもかかわらず、ダビデはアブネルの死に対して、ヨアブと彼と行動していたすべての兵たちに「衣を引き裂き、荒布をまとい、アブネルの前で悼み悲しみなさい」と言いながら、自ら棺の後をついて行きました。また、彼は泣きながら哀歌を歌い、断食をしました。ダビデのこのような姿を見て、民たちはダビデがアブネルを殺したのではなく、アブネルの死を心から悲しんでいることを認めていました。
ダビデは、敵の軍隊の長だったアブネルを偉大な軍の将だったと評価しています。ダビデはサウルが死んだ時も同じでした。敵とは思わず、一人の死に対して悲しんだわけです。真実なダビデの心が分かります。最初は誤解があるかもしれませんが、真実な心が変わらない以上、いつかはすべての人たちが分かってくれるはずです。人が知らなくても神様は分かります。
また、ダビデは自分の弱さと限界を隠そうとしませんでした。自分は油注がれた王であるが、ヨアブが自分にとって手ごわすぎると告白します。誰でも足りなさがあり、弱さがあります。それを隠そうとして偽りを言い、自分を大きく見せようとします。しかし、ダビデはありのままの姿を見せます。そして、神様に委ね、「主が悪を行う者に、その悪にしたがって報いてくださるように」と祈ります。自分が出来ないことを神様に委ね、恵みを求める姿が見られます。これが知恵でしょう。
自分の力では出来ないことを前にした時、皆さんはどうしているでしょうか。神様の目は、どこででも悪人と義人とを見分けられる方です。これを信じる時に私たちは偽りのない人生を歩むことが出来るのです。