Ⅱサムエル18:9-18

アブサロムは、ダビデの家来たちから逃げているところ、彼の頭が樫の木に引っ掛かり宙づりになりました。ついに、アブサロムはこの姿で殺され、戦いに破られます。アブサロムが死んだ理由は何でしょう。むろん、神様の裁きだと言えますが、主なことはアブサロムの高慢だと言えます。Ⅱサムエル14:26、年の終わりにアブサロムの髪の毛を刈って測ると何と2.3キロの重さだったそうです。髪の毛を始め非の打ちどころのない美しさが彼の自慢でした。しかし、その自慢のものによって死をもたらされます。聖書は「高慢は破滅に先立ち(箴16:18)」と言っています。アブサロムの反逆は高慢な心から始まりました。王としてダビデより自分の方が優れてると思った霊的高慢でしょう。これは王に油注がれる神様に対する挑みです。

枝に引っ掛かったアブサロムは、自分は何も出来ない存在であることが分かったでしょう。アブサロムは生きている間、自分のために一本の柱を立てていました。自分の名をあげたい夢がありましたが、主の関わりのない夢は反逆者という汚名のみ残りました。ヨアブの手に殺されることにより彼の夢は水泡になってしまいます。神様を離れては私たちは何も出来ない存在であることを心かけるべきです。神様に頼るとき主が高く上げてくださるでしょう。

ヨアブは、アブサロムを殺さないように命じたダビデの命令に不従順しました。普通の兵士も王様の命令に従順するのに、一層厳しく守るべき軍団長がダビデ王の言葉を無視しました。ヨアブはいつも自分勝手に行動する傾向がありました。高慢が廃滅の先立ちであれば、従順は義人になるに先立ちだと言えるでしょう。ヨアブはこの事件以来、下り坂の道を歩むようになります。従順というのは自分のものを降ろすことです。自分の考えを先に立たせるのではなく主の御言葉に優先して従うことであり、そのような人が祝福されると信じます。

例え、銀千枚をくれるにしても王様の命令に不従順することは出来ませんと言った名も知られてない兵士の告白の中で従順の重さが見つかると思います。主が願っておられるのはこのような姿ではないでしょうか。一言で従順というのは自分が死ぬことです。死ぬ時に復活があります。主の御言葉に死んで従順するものになりましょう。