Ⅰサムエル25:18-35 

アビガイルの知恵が目立ちます。しもべの話を聞いて、急いで食べ物を用意し、ダビデに向かって出て行きます。そうでないと、ナバルの家のすべての人たちが殺されるかもしれないからです。アビガイルが急いだのは命が掛かっていたからです。ナバルとは相談せずに、自分が出来る最善のものを用意します。もし、アビガイルがナバルを説得していたら遅かったかもしれません。

順番を踏むのは大事ですが、それを省略して急ぐべき時もあります。お互に相談して処理する時もありますが、まず、処理して後で報告すべき時もあります。しかし、相談せずに独断で行ったと言って文句を言う人たちもいるでしょう。しかし、状況によるとをお互に理解すべきだと思います。

韓国はパリパリ(早く早く)文化と言われます。それで、ものごとの処理は早いが、その後いろいろな問題が起こることもあります。反面、日本はマニュアル社会だと言われます。マニュアルの通り動くので正確ですが、ものごとの処理が遅くなる場合もあります。

私たちが福音を伝える時に遅れてしまうのはなぜでしょうか。急がなくても良いと思うからでしょう。魂を救うのに急ぐ必要性を感じられないのです。魂を救うこと、福音を伝えることに最善を尽くすべきです。アビガイルは急ぐのですが、十分用意して出て行ったように、福音を伝えることも惜しまず、時には浪費と思うくらい注ぎ入れる必要があります。それで、いのちが生かされるからです。

アビガイルは、ダビデに知恵をもって話します。彼女は憤っているダビデに、神様があなたを指導者に立たせられるので、理由もなく血を流したり、自ら復讐したりして、あとで後悔することはしないでくださいと願います。アビガイルの話を聞いたダビデは、心に平安を取り戻し、神様が殺人を止めてくださったと告白しています。また、アビガイルの言葉通りにすると約束します。自分の軽率な行動と過ちを認めたのです。プライドが高い人なら、易しいことではなかったでしょう。しかし、ダビデは、彼女を通して神様が自分を止めてくださったことが分かりました。それで、人ではなく、神様の前で、自分の過ちを認めたのです。

このように、毎瞬間、私たちは神様の御声に耳を傾けるべきです。勝利は神様がくださるものです。人と戦わずに勝利する方法を教えて下さる主です。手に血を付けずに勝つ秘訣は、主の方法に従うことです。そうするならば、アビガイルの話のように、敵たちは主が石投げのくぼみに入れて投げつけられるのです。

自分の気が短いことで、処理するまで待てないミスを犯さないように注意を払うべきです。主が働いてくださるまで待つ信仰になるように祈りましょう。