ゼカリヤ書1章7-21

ゼカリヤ書には、八つの幻が出て来ます。その中で、今日の個所からは二つが登場します。二つの幻は、イスラエルとエルサレムを愛する神様の御心が現されています。一つ目の幻は、ミルトスの木の間に立っている人を見ました。ミルトスの木は、イスラエルの回復を意味します。イザヤ書では、荒野にミルトスの木とオリーブの木を植えることで、神様の新しい御業が行われることを表しています。つまり、神様がもう一度エルサレムを回復させられると言う御心でしょう。しかし、前提条件として民たちが悔い改めて主に立ち返ってくることです。

御使いは、神様がエルサレムとユダの町々に憤られて七十年になったと話しています。つまり、今や、約束の時期になりましたが、どうなさいますかという質問でしょう。それで、神様は16節で「わたしは、憐れみをもってエルサレムに帰る。そこに私の宮が建て直される。測り縄がエルサレムの上に張られる。」ハレルヤ。希望のメッセージが宣布されました。「わたしは、エルサレムとシオンを妬むほど激しく愛した。」と話されましたが、これこそ、神様の御心です。

面白い表現は、神様は怒られましたが、それはイスラエルを打った国々の故でした。神様は、ご自分の民に少し怒られましたが、国々は彼らが欲するままに悪事を行ったとおっしゃいます。これが、親の心ではないでしょうか。親が怒り罰するのは良いが、間違ったと言って、他の人々が子供をしつけると気に要らなくなります。怒るのも愛だからです。愛がなければ無関心になるでしょう。

また、二つ目の幻は、四つの角を打ち滅ぼすために四人の職人が出て来たと話しています。角とは、力、権力を意味します。ユダを散らした他の国々のことを表します。この角を滅ぼすのが神様の御心です。

私たちを愛される神様の御心を知り、希望を持ち、慰められますように。絶望の中でも希望を宣布し、御言葉で慰めてくださる神様の御心を悟り、自分の力ではない主の愛によって回復されるその日まで待ち望みましょう。