ゼカリヤ書8章1-13

私たちの存在の理由は何なのかが、明確に出てきます。

エルサレムが真理の聖なる都と呼ばれる理由は何でしょうか。神様がエルサレムに住まわれるからです。

万軍の主の山が聖なる山と呼ばれる理由は何でしょうか。神様がエルサレムに住まわれるからです。

エルサレムに老いた男や女が大勢、子供たちが大勢、遊ぶようになる理由は何でしょうか。神様がエルサレムに住まわれるからです。

ユダの人たちが力を出し、勇気を出す理由は何でしょうか。神様が共におられるからです。

蒔かれた種が育ちブドウの木の実が結ばれ、地が産物を出して、平安の中で収穫が出来る理由は何でしょうか。神様が共におられるからです。

イスラエルの民が祝福される理由な何でしょうか。神様が共におられるからです。

私たちの生きるすべての理由が何なのか明確に出て来ます。ユダが滅ぼされたのも、神様の栄光が離れたからです。神殿が壊され、敵に踏みにじられ捕虜になった理由も、神様の栄光が離れたからです。つまり、私たちにとって神様が離れるということは、死を意味します。生きていても生きる意味がなくなります。死んだのと違いがないからです。天から露が降りるのも、実が成るのも自然現象ではありません。神様の助けです。恵みです。人間関係が回復されるのも神様の恵みです。恵みがあれば、以前と違う関係になります。

従って、私たちは力を出すべきです。勇気を出していきなさいということです。何故でしょうか?神様が共にいてくださる、神様が私たちの神様になって下さると約束して下さるからです。神様が、先に私たちを愛して下さり、また、回復も約束なさりました。それは、神様のもとに戻りなさいという御心です。神様の元に戻ると私たちの一日一日が祝福になります。