ゼカリヤ書4:1-14

この個所は、ゼカリヤ書の8つの幻の中で、五つ目です。

純金の燭台がありました。その燭台のそばには、二本のオリーブの木がありました。この二本のオリーブの木の管から油が注ぎだされ、燭台の火を灯していました。ゼカリヤは、このオリーブの二本の枝は何ですかと尋ねます。すると、これらは全地の主のそばに立つ二人の油注がれた者だと答えられます。その二人は、だれでしょうか。ゼルバベルと大祭司ヨシュアのことだとみなされます。

聖書では、油とは聖霊を意味する場合が多いです。燭台は聖所の中であるもので、いつも灯されていました。聖所の燭台に火が灯されるということは、70年前、国が滅ぼされると同時に神殿も崩され、礼拝が消え、主の臨在もありませんでした。その崩された神殿がもう一度回復されることを意味します。神殿が回復され、聖所の燭台の火が灯されるということは、神様の臨在と統治が再び始まると言うことでしょう。その証拠として、14節「全地の主」と表現しています。神様は全地を治める主です。神様によって選ばれたイスラエル、つまり、選ばれた主の民によって、この地に主の栄光が輝くのを見せてくださったのです。

私たちこそ、主の選ばれたイスラエルです。私たちを通して主の栄光が現されるべきです。その光を灯すためには油が必要です。オリーブの木から金の油が続けて注がれるように、私たちにも油が必要です。聖霊の助けが必要です。毎瞬間聖霊の助けを求めて祈りましょう。聖霊の助けなしには、私たちは生きられません。聖霊の助けによって、私たちは聖所の灯になり、この世を照らし、主の栄光を現す人生の歩みになることが出来るのです。

また、ゼカリヤは、御使いに続けて質問します。これは何ですかと。ある程度は知っているでしょうに、正確に知るために聞いているのです。謙遜な姿が見られます。求める者に知恵を与えられ、教えて下さいます。聖書に対して私たちは、聖霊の助けを求めるべきです。知っていると思う時にも、また、聞き、黙想し続ける時に、もっと深い奥義が悟られるでしょう。この助けの御言葉が6節7節です。かなり有名な御言葉です。大いなる山は神殿再建を妨げるものを意味しますが、この妨げるものがすべて平らにされると約束されます。

「恵みあれ、恵みあれと叫び声があがる」ように、私たちのすべての生活の隅々に主の恵みがあれと宣言しましょう。今日の一日も助けてくださる主の恵みを求めましょう。