ゼカリヤ書12:1-14

神様の働きをする時に常に覚えておくべきことは、神様がどんな方なのかということを忘れないことです。1-9節の中をみると、預言者は神様がどんな方であるかについて宣言しています。どんな神様だと言っていますか。天を張り、地の基を定め、人の霊をそのうちに造られた方が告げられた言葉だ。一言で言えば、創造主です。なぜ、神様を紹介しているでしょう。ユダの民は多くの敵によって苦しめられていて、敗北意識に囚われていました。しかし、神様は、預言者を通して、数えきれない敵に囲まれて脅かされても、全能なる神様が彼らを守ってくださることに気づき、恐れを乗り越えるように語っておられます。

また、神様がユダの民を守られることを話します。敵が神様の民に襲って来ても失敗する。かえって、神様の御手により燃やされ、目が見えなくなって滅ぼされると。神様は御自分の民を守られ、民たちは敵を打ち破るようになる。面白い表現は、エルサレムが重い石となり、それを持ち帰ろうとする者たちがひどい傷を受けると言われます。神様は、ご自分の民を瞳のように守られるでしょう。

私たちはどうでしょうか。自分を守ってくださる神様についてどれくらい知っていて信じていますか。外部から攻撃してくる人たちがいると、退いてしまいます。しかし、よろめいて傷つくのは敵たちです。神様の民は何の害も受けません。5節の御言葉のように「エルサレムの住民は、彼らの神、万軍の主によって私の力となる」その通りです。なので、堂々としましょう。私たちを助けられる主がおられることを信じましょう。弱い者でもダビデのようになります。ゴリアテに勝利したダビデのようにです。

しかし、このような勝利の結果は誰にでも与えられるものではありません。神様は、イスラエルの民の心に恵みと嘆願の霊を注がれるでしょう。恵みと赦しを求める心は神様のプレゼントです。10節、「彼らは、自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て…激しく泣く」この御言葉は、イエスキリストの死を預言した言葉です。十字架の死を見て激しく泣く、悔い改める心。自分の罪を悔い改めて激しくなく心を持っている人に神様は勝利を与えられます。

言いかえれば、自分の罪を顧みる人が、自分を攻撃してくる人を赦すことが出来る心を与えて下さいと祈ることができ、赦す人が勝利を経験する人になるのです。その人を見ると神様が共におられることが分かります。